ここ数年で一気にブレイクした藤井風さん♪
記憶に新しい初出場の紅白では、サプライズ登場するわ、トリでミーシャの伴奏をするわと何かと話題になりましたね。
今や、国内のチケットは入手困難で倍率高く、2023年の初海外ツアー(ソウル、バンコク、ジャカルタ、クアラルンプール、上海、台北、香港の7都市)も大盛況だったようです。
彼の歌やピアノのテクニックは素晴らしく、25歳にしてはかなり独特な雰囲気を醸し出していますが実は父親の影響を多大に受けているのだとか。
すると世間は藤井風を育てた父親って一体何者?
名前、年齢、仕事は牧師で宗教家なの?などと、良くも悪くも注目されるようになります。
そこで今回は、ネットをざわつかせた宗教の件も含め、藤井風の父親は何者か、名前や年齢、仕事などを調査しました。
どうぞ最後までごらんください。
藤井風の父親は何者?
藤井風さんは、12歳からユーチューバーとして、数多くの洋楽、昭和歌謡などのカバー曲を披露してるのをご存知でしょうか?
私自身、ユーチューブのオススメでたまたま彼を知り、数々の名曲を発表していく姿を見てファンになり、きっとご両親の影響が強いんだろうなぁと感じながら少年の演奏を聴いていました。
するとやはり風さんの父親が「これからはYouTube」ということで訳もわからず始めたのがきっかけなんだそうです。
お父様の影響大ですね!
でも、影響はそれだけには留まりません。
デビュー後、ファーストアルバムにつけたタイトル名が「HELP EVER HURT NEVER」。
意味は「常に助け、決して傷つけない」となんやら宗教的。
しかも父親がいつも言っていた言葉との事なんです。
そんな名言を日常的に言ってた父親ってどんな人なんでしょうか?
藤井風の父親は名プロデューサー
藤井風さんは父親の方針通りにユーチューブに出たり、デビューアルバムのタイトルを父親の名言にしてみたりと、かなりのお父さんっ子です。
そして彼の兄弟構成は、なんと5人兄弟で一番末っ子だったんですね。
お父様は末っ子の風さんに手厚く色んなことを教えて、それを素直に風さんが吸収して学び、スクスクと育ったのが目に浮かびます。
息子を今(2023年)から13年も前にユーチューバーにさせるなど、先見の明がある父親は一体何者なのかを調べてみると、大学は、なんと日大の芸術学部演劇学科出身でした。
あの三谷幸喜や市川團十郎、爆笑問題の二人などなど、数多くの大物を生み出している名門学校です。
若い頃はミュージシャンを目指していたそうです♪
そして音楽活動の拠点として岡山県で喫茶店をはじめることとなり、そこで風さんは育ちます。
やがて5人の子育てと喫茶店経営という生活に追われていくうちに、ミュージシャンになる事を諦めて息子にその道を託すようになったのだと、風さんご本人が語っています。
もちろん風さんがピアノを3歳ではじめたのも父からのすすめです。
クラシックピアノでショパンを華麗に弾けるだけではなく、洋楽、昭和歌謡、ジャズに至るまで、あらゆるジャンルの音楽を聴かせて学ばせたのが大成功の秘訣だと思います。
お父様の音楽への造詣の深さや知識の奥深さ、センスの良さが今の藤井風をつくったと言っても過言ではありませんね。
中でも驚いたのは、いつもはピアノの弾き語りが殆どなんですが、まだあどけない少年時代の風さんが、見事にサックスを喫茶店の中で吹きまくる動画が出てくるんですが、このサックスも父からのアドバイスで始めたそうです。
ジャズを聴きまくっていた私の感想として、あの若さでしっかりした野太い音、そしてブルーノートスケールに沿ったアレンジを堂々と吹きまくる動画は、粗削りながら圧巻の迫力でした。
ブルーノートスケールとは、ジャズやブルースで使う音階のことです。
お父様はトランペットやフルートを吹いていたので、管楽器の魅力と音楽の幅を広げるためにも風さんにサックスを学ばせたのでしょうね。
ちなみに風さんの流暢な英語も父からのアドバイスで幼少期から始めたとの事です。
「僕の隣にはいつも父親がいた」「全ては父から教わった」と風さんは語っています。
まさしく彼を世界的に有名なアーティストに導いた名プロデューサーですね。
藤井風の父親はインドの宗教家サイババの信者
最近やたらと藤井風のことを、「宗教2世」だの、「ライブで布教活動をしている」などネガティブな内容の記事でネット上がざわついてますね。
冒頭でお伝えしたファーストアルバムのタイトルについて、風さんの言葉を詳しく載せると『うちのオトンが大切にしているというか、よう聞かせてくれとった言葉でもあって、すべての事がここにきゅきゅきゅーっと集約されてとるような言葉じゃと思ったんで』といつもの岡山弁で答えてます。
では、お父様が大切にされていたこの言葉の元は一体何なのかいうと、インドの宗教家で日本でも一躍ブームとなり、大変話題になったサイババの言葉だとの事なんです。
セカンドアルバムの「LOVE ALL SERVE ALL」もそうです。
意味は「すべてを愛し、すべてに仕えよ」です。
サイババとは、有名なインドの宗教家で、様々な社会貢献を行い貧困層や被災者に教育奉仕や医療奉仕をし続けた世界的にも影響力を与えた方です。
実際、アメリカのミズーリ州、アーカンソー州の二つの市ではサイババの日が設けられていたり、カナダでは、サイババの教育法を推奨しているほどなんだそうです。
実際、日本人でも多くの人々が影響をうけているのは事実です。
生前のサイババが最も精力的に活動している頃、世界中から、そして日本からも数多くの人々がサイババへ会うためインドへ向かいました。
その中に風さんのご両親も居たというわけです。
しかも、なんと風さんがまだ母親のお腹の中にいる時に1回目、そして風さんが無事生まれた感謝を伝えるために2歳の頃にわざわざ家族全員でインドに向かわれています。
その時の写真が風さんのSNSにアップされています。
筆者自身、これを知った時はかなりの驚きでした。
なるべく安静にしておきたい妊婦の時に、しかも衛生的とは言い難いインドへ旅するなんて、かなりのサイババ信者であったことがわかりますね。
サイババの教育法を調べると、「真実、正しい行い、平安、愛、非暴力」でした。
きっと風さんの父親はこの教育法に則って子育てをされてたのでしょうね。
食事もベジタリアン、そして信者であることをカミングアウトした風さん。
実際、2022年秋に出した「grace」のミュージックビデオはインドが舞台となってイントロ部分からインドの宗教画のような一面が綺麗な雲ではじまり、「grace」の文字もなんやらヒンディー語のような感じではじまり、シヴァ神も出てきます。
風さんは、このMVでカミングアウトできた喜びのようなものを感じたのは私だけでしょうか?
最後はまるでボリウッド映画のように大勢の人とダンスを踊りながら歌っている姿は微笑ましく感じました。
人気が出てきてからの楽曲の中で一番自然体で聞きやすいと思います。
今回のざわついている件に対して、宗教的な意味合いの言葉に敏感すぎる日本人に対して、「決して布教活動などやっていない」「もっと宗教観にカジュアルであって欲しい」とも言っています。
「全ては父から教わった」と言っているとおり、音楽以外の精神的な部分までしっかりと父親の考え方や信念を受け継いでいますね。
ただ、サイババの言葉で布教活動とか騒がれているのですがよくよく調べると、実はあのガンジーも使っていたインドの古典の中の古い格言という説があるんです。
そうなると、インドの古い教えがお父様の座右の銘だったというだけの話しになるため布教活動とは違った意味合いになりますね。
藤井風の父親の名前や年齢や仕事は?
風さんのお父様の名前は、藤井三男(ミツオ)さんです。
そこから、喫茶店の名前をミッチャムにした、もしくは当時のアメリカの俳優、ロバート・ミッチャムからとったなどの説があります。
喫茶店の場所は、岡山県の里庄町ですが、父親の出身は近くの笠岡市だそうです。
「藤井」という苗字は中国地方に多いですね。
そして、年齢は2022年10月で70歳になったと風さんがSNSで公表されました。
風さんが25歳なので少し年の離れた親子になりますね。
今は年相応の容姿ですが、若い頃の写真を見ると風さんとソックリのハンサムで、どことなく阿部寛にも見えます(^^)
個人的な感想ですが、お父様の表情を見ると「絶対いい人~」という印象です。
人ってだいたい顔に出ると思うんですよね。
とてもにこやかで、目から心底笑っているお顔、そして大らかな雰囲気は、スピリチュアル的に満たされているからこそだと感じました。
ミッチャムで喫茶店のマスターが仕事になりますが少し前に閉店されています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は藤井風の父親は何者?ということで、名前や年齢、仕事について調査してみました。
藤井風さんの父親が何者かというと、名前は藤井三男さん、年齢は70歳で仕事は喫茶店のマスターとして生計を立てていらっしゃいました。
そして、藤井風を幼少期から多方面にプロデュースし、インドの伝統的な文化に造詣が深く、サイババの教え(インドの古い教え)を実践され、藤井風に精神世界から音楽活動に至るまで強い影響を与えている人物ということがわかりました。
今の藤井風さんの音楽を聴けるのもお父様のおかげだと思うととてもありがたい気持ちになります。
どんどんと父親から受けた影響が滲み出てきて、とても雰囲気のある好青年になってきてると感じます♪
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